すべてのモデルは間違いである

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「すべてのモデルは間違っている」という統計学者のジョージ・ボックスの言葉は、モデルについて語られる際の誇張された言質としてしばしば引き合いに出される。正確には、1978年の統計学ワークショップの論文で「すべてのモデルは間違っているが、中には役立つものもある(All models are wrong; but some are useful)」というセクションでボックスはモデルの役割について述べている。

超上流工程では扱う対象が「一般システム」であることはブログ「対象に対する理解の仕方から見た「システム」」で述べた。システムを記述するためにはモデルという考えかたが重要になる。ある対象を理解する際のモデルの必要性については、ボックスの論文を待たずとも一般的に語られてきたことではあるが、ボックスはモデルの役割についてわかりやすい例をあげて説明しているので、彼の論文を参照してみよう。

ボックスの論文の「すべてのモデルは間違っているが、中には役立つものもある」というセクションでは、気体を例にモデル化の役割について次のように述べられている。

巧妙に選ばれた解析的なモデルは、しばしば驚くほど有用な近似値を提供します。(中略)例えば、「理想」気体の圧力P、体積V、温度Tを定数Rで表したPV=RTという法則は、実際の気体に対して正確に成り立つものではありませんが、有用な近似値を提供することが多い

気体の状態方程式「PV=RT」はボイルの法則と言われるもので、温度を一定にした場合、気体の体積が圧力に反比例するという法則性を示しており、一般的に経験される気体の性質を「理想気体」というモデルをから説明したものである。理想気体では、気体の圧力や温度が、気体を構成する分子が気体に与えられた熱によって激しく動き壁にぶつかったときの運動によるものであると説明する。これは「気体分子運動論」と呼ばれている。

理想気体では、気体分子という「粒」とそれらの「運動」がイメージとしてある。このような、実際には見えないものを具体的イメージで描き、観測されたものを説明することがモデルのひとつの重要な機能である。
このように説明すると、現代の我々にとってはあたり前のように思えるが、目には見えない「気体の粒」というものを最初に想像するには思考の大きな飛躍があったであろう。

気体が気体分子から構成されるという「理想気体」モデルの基礎を与えた人物はベルヌーイという流体力学で有名な人物である。

ダニエル・ベルヌーイ(Daniel Bernoulli, 1700年 – 1782年)
スイスの数学者・物理学者

ベルヌーイの理想気体モデルというモデルを考えるとボイルの法則が説明できる。重要なことは順番性にある。

順番は下記になる。

1662年:ボイルが、気体の体積と圧力に関する法則性を発見
1738年:ベルヌーイが、気体分子の運動モデルで説明できることを示す

つまり、現象としての法則性の認識が最初にあり、その次に気体分子運動論という理論が体系化されたのである。理論の体系化に重要な働きをしたものがすなわち理想気体という「モデル」である。
「法則性の認識」→「モデル」→「理論の体系化」という順序性は、物事の探究の過程で普遍的なものであり(このことについては、別途記事を書く予定です)、システムの理解においてもモデル化が重要となる。

ところで、ボックスが気体を引き合いにモデル化の議論を進めたことからは、もうひとつの興味深い考察ができる。

気体は、前述のブログでは「集合体(大集団)」の領域にある。ワインバーグによる人の思考方法の分類「集合体 – 一般システム – 機械」では集合体は統計的に語られるものであり、モデル化がその重要な方法である一般システムとは記述の仕方が異なる。

統計的に語られる「集合体」気体の理解に、気体の分子運動というシステムの記述に用いられる「モデル」を適用するということはどういうことであろうか。これは、マクロな集合体の振る舞いの原理を理解するためには、集合体を単純化したシステムというミクロ的モデルを用いることが有効であるということである。つまり、集合体の統計的な現象は、それを微視的にモデル化したときの構成要素とそれらの法則性が基となって理解されるということである。これは例えば、消費者、生産者という構成要素とそれらの間の取引という相互関係によって説明されるミクロ経済と、統計的に語られるマクロ経済との関係に相当する。

業務プロセスにおいても、個々の業務プロセスは会社や組織の中のシステムとしてミクロ的にモデル化される対象であり、在庫変動や利益率などは結果として語られる統計量となる。しかし、それらの変動を制御するためには、ミクロな視点による業務モデルによって記述される会社や組織を構成する要素の定義とそれらの微視的な法則性を基にしなければならないのである。